2020年8月15日土曜日

前口上(六十七回目の終戦の日に)

 皆さま、はじめまして。Y. J. Kと申します。以前から構想を抱き且つ練っていたブログを、今日から始めることにしました。
 
 タイトルの"triplo ritorto"とは、イタリア語で「三つ撚りの糸」という意味です。これには様々な含意がありますが、紳士の装いとその背景としての文藝、音楽を三本柱に据えたものを書きたい、というおもいがまずあります。歴史に学ぶ、偉大な先人たちの知恵に学ぶ、学んだことを未来に生かす、そんな意図も込めています。

 また、サブタイトルにある「脚下照顧」は、もともと禅のことばです。現在では「人のふり見て我がふり直せ」という程の意味ですが、自らの足元すなわち靴(そしてホーザリィ)をまずは顧みよう、そんな僕の(ちょっと即物的かもしれない)気持ちも加えて、引用させていただくことにしました。

 まずは「見る前に跳べ」の精神ではじめてみますが、なにぶんわからないこと、知らないことだらけですので、お読みになった方のご意見やコメントをいただけると嬉しいです。このブログを通して、お読みくださっている方々と僕の双方が幸せになれればよい、そうおもっています。

 それでは、幾久しくよろしくご愛顧のほどを…

 六十七回目の終戦の日に、いまの繁栄の礎を築いてくださった先人たちに感謝と尊敬の念を込めて。

2012年8月15日
Y. J. K 識

(2012.10.23追記)
 このブログを訪ねてくださったすべての方にご一読いただくために、当記事「前口上(六十七回目の終戦の日に)」をブログの一番上におくことにします。そのため投稿日時があり得ないことになっておりますが、ご了解いただけると幸甚です。

Y. J. K 識

2014年4月19日土曜日

ぬののかんばせ 参 -a face of the textile 3-


19c Vintage Silk Waistcoat made in France (unknown maker)
 
 西国ではついに櫻が葉櫻となり、陽気が肌に感じられるような気候になってきました。それでも日蔭にはいると肌寒いときもあり、それを考えると、いまが上着やニット、それに「袖無しの胴衣」を最も愉しめる時季のひとつといえるかもしれません。


 さて、「袖無しの胴衣」と一口に申しましても、言語によってヴェスト(米)とかウェストコート(英)とかジレ(仏)とか様々な呼ばれ方をしますが、いまや着用のされ方も多種多様となっており、普段着としてTシャツのうえに着るようなものから、燕尾服と組み合わせて着られるごくフォーマルなものまで、様々です。

 
 今回ご紹介するのは、19世紀のフランスで仕立てられた絹製のウェストコート(フランスものなのでジレと呼ぶべきでしょうか)です。七つ釦の立ち襟に近い仕立ては、現在では殆ど見られなくなりました。前身頃には黒と赤の絹糸で文様が織り出されており、後身頃は漆黒のシルクサテン地。釦は最初貝を削り出したものかと思いましたが、違うようです。裏地に張られているのはかなり密に織られた綿布で、生成りの地色に太めの藤色縞と細い黒縞三本が品よく配されていて、内釦はの素材はコロッツォでしょうか。



 仕立てられた時代が時代だけに当然経年劣化や着用感などもある訳ですが、歳月を経てなお輝く「重み」がじんわりと伝わってくる品です。前身頃にあしらわれている生地ひとつとっても、眺める角度や光の分量によって黒と赤の割合が異なってみえる「玉虫」のような凝った織りがされていますし、柔らかさとしなやかさと独特の「乾き」が同居した触感は、今まで味わったことのないものです。裏地に生成りと藤色と黒色のマルチストライプをあしらう感性も美事だとおもいます。


 
 クラヴァットやスカーフなど小物は別として、あまり「古着」に関心をもってこなかった僕ですが、たまにこうしたオーラを発散している古着と出逢うと、蒙を啓かれるおもいがします。細部の仕様や生地の質など、時代の違いという「埋めようのない差」を超えて、現代に連綿と繋がる先人たちの心意気が感じられるような…



 実際に着用してみると、僕の体型に割とあっているようで、前身頃のフィット感などはなかなかのものです。このジレに雰囲気の合う上着やトラウザーズを誂えるという愉しみもできました。合わせようと考えているクラヴァットは、ふるいARNYS製のプリントもの。19世紀以前の宮廷服や軍服を唯一無二の感性で現代に蘇らせていたのがARNYSというメゾンでしたが、小物に宿っている魂もまたしかりで、こうした古着と組み合わせても違和感がないのには驚かされます。

2014年4月8日火曜日

ぬののかんばせ 弐 -a face of the textile 2-


Vintage Swiss Silk Scarf made by A. Sulka & Company, NY (sine anno)

 「ひさかたの 光のどけき 春の日に しづごころなく 花の散るらむ」とは紀友則の名歌ですが、その心境を味わうにふさわしい、穏やかな春の日がこのところ西国では続いております。その盛りはほんのひと時のことで、潔く儚く散ってゆく櫻の花をじっと眺めていると、不思議な憧憬がわいてきます。

 春の色と一口に言いましても、ひとによって様々な色を想い起こされるでしょうが、「櫻の時季」に限定するとすれば、やはり櫻色を於いてほかにないと思います。日本の古色名でいう「櫻色」はかなり淡いピンクなので、そのものズバリという色合いのものがワードローブにはなかった、「櫻の時季」から「初夏」に軽やかに纏いたくなるスカーフなら見つけることができました。


 前回の「ぬののかんばせ」と同じくスイスシルクを用いた、A. Sulka & Companyのヴィンテージハンドプリントスカーフです。制作年代はわかりませんが、特徴として挙げられるのは、crêpe de Chineという平織りの縮緬のような素材を用いていること、ピンクと青の色出し(赤味のつよいピンクと濃い空色のブルー)がむかしのスイス独特のものであること、描かれているモティーフが所謂コロニアル(植民地)調であること、といったところでしょうか。


 このスカーフと出逢ったとき、生地と色合いと柄が三位一体となって醸し出す色気に溜め息がもれました。縁かがりの繊細さも現在のスカーフにはなかなか見いだすことが難しいのですが、何よりも全体から発散している品格には敵わないものを感じました。


 独特の筆遣いで描かれた、コロニアルな柄…ムガル帝国時代のインドが舞台なのか、象や馬に乗ったマハラジャや貴族たちが散歩しているさまが、すこし漫画チックに表現されています。スカーフ中央部にはひとびとの生活の様子がちいさく描かれ、薄紅と薄群青の絶妙の配分と対比が、じつに美しいのです。



 実際の色合いをお伝えできないのが残念ですが(ピンクもブルーもずっと鮮やかです)、こうした古の逸品をご紹介することによって、受け継がれてきた(筈の)色彩感覚や感性といったものを偲ぶよすがとなれば、幸いに思います。

2014年3月28日金曜日

ぬののかんばせ 壱 -a face of the textile 1-


Vintage Swiss Silk Scarf made in France (circa.1950)

 もう、春ですね。鶯のさえずりなど耳にすると、これが「春のおと」だなぁとしみじみ聴き入ってしまいます。
 
 さて、所謂ヴィンテージとかアンティークとか云われる骨董小物のなかには、とても質が高いにも関わらず案外悪趣味な柄・配色のものも散見されますが、このスカーフは柔らかい手描きの線と、実に絶妙の色合いで染められた二色(フランスと日本の古色でいえば、Cendre(枯色)とBlue de Côte d'Azur(薄縹)あたりでしょうか)の配し方が、えもいわれぬ優雅さと洗練を醸しています。古くささを感じさせない「時代を超えた時代性」って存在するんですね。
 
 不思議な装飾をもった馬や花の手描きの曲線にせよ、配色にせよ、実際につくられたとおぼしき時代よりももっと昔…ベル・エポック期のかほりさえ漂います。そしてなにより、絹の質が凄い。とても密に織り込まれた繻子(サテン)地ですが、蕩けるような感触と巻いてみたときの豊かな膨らみと張りは、やはり現代では得難い質だとおもいます。軸がぶれていないというか、「質の高いスカーフとはこういうものだ」という誇りが伝わってくるような質なのです。

 それにしてもこのツートンカラー、なんだか江戸時代の日本でも好まれそうな配色だと思われませんか?

2014年1月4日土曜日

謹賀新年

 元旦の歯をていねいにみがきけり 草城




 "triplo ritorto"を応援してくださっている皆さまがより佳き一年を過ごされますことを、こころより祈念しております。
 
 今後ともご愛顧またご指導ご鞭撻のほど、どうぞよろしくお願い致します。

 平成二十六年甲午 三が日明けに

 Y. J. K

2013年12月12日木曜日

昭和歌謡の小径と憧憬 序;バブル、それは忘れかけてた渚のDeja-vu


 硝子のレプリカント/早瀬優香子('86)

 ことばとは不思議なもので、万巻の書をもってしても表現しつくせないこともあれば、たった一つのことばにすべての込めたい意味が結晶することだってあります。古の詩人から現代のシンガーソングライターに至るまで、自分だけの「結晶」をおいもとめる姿勢はそんなに変わるところがない。

(このような突き抜けた感性も民族的「結晶」とよべるでしょうか)

それでも、現代からは喪われた言語感覚はたしかにあると思います。いまを生きる僕たちは、プレイヤード派の詩人たちがのこした詩作からなにものかを受け取ることはできても、かれらがソネやオードにほどこした過剰なまでの装飾に違和感(という名の関心)を感じずにはおれません。こうした違和感(関心)は、なにも16世紀フランスという時空を隔てた文化を眺めずとも、たとえばバブル期日本の流行を振り返っても抱くことができます。

 最近の女性の装いでも、「朱い口紅(赤いルージュみたいで可笑しな表現ですね)」のようなバブル期を髣髴させる要素を取り入れるのが流行しているといいます。地面と殆ど水平をなす肩線やニットにも入れた肩パット、明らかにゆとりがあり過ぎ、縫い合わせ線のきわめて低いダブルブレステッドのジャケット、幅広で極彩色のプリントタイ、「ボディコン」、「ワンレングス・ボブ」…30年ほどの時を経たいま、俯瞰でそれらを眺めてみると、奇異な印象だけではなく、いまにも共通している「何か」を感じます。

(泉麻人著『街のオキテ』、単行本初版は1986年12月)

 この「昭和歌謡の小径と憧憬」では、いまの音楽にはない抗し難い魅力を持った昭和の歌謡曲(厳密な意味での歌謡曲以外もふくむ)を皆さんと聴き直してみたいと考えています。序である今回は、最近僕の頭をぐるぐる回り続けている一曲、早瀬優香子の『硝子のレプリカント』(1986年4月25日発売)を取り上げます。作曲が井上大輔、作詞に泉麻人、編曲が西平彰、しかもポカリスエットCF曲…まさに「ザ・バブル」の申し子といってよいのではないでしょうか。

 『硝子のレプリカント』を知ったのは、安藤裕子が様々な唄い手の曲をカバーしそれをまとめたアルバム「大人のまじめなカバーシリーズ」を聴いたことがきっかけでした(とても良いカバー・コンピレーションとして強力にお勧めできる一枚です)。安藤裕子のカバーアルバムにおさめられているのは『セシルはセシル』のほうですが、(シングル盤発売当時の)A面にあたるこの曲も、作詞を秋元康が担当したという「いかにも!」と叫びたくなる佳曲なのです。

(ミレーユ・ダルクとアラン・ドロン)

 『セシルはセシル』はギターの乾いたカッティングと打ち込みのリズムパターンが「いかにも」80年代半ばでダサかっこ良く、また「よくあるパターンの ミレーユ・ダルクね」という歌詞にもクリビツテンギョーしましたけど、『硝子のレプリカント』はそれを上回る衝撃を僕に与えてくれました。

  早瀬優香子はもともと子役出身の女優で(「俺はあばれはっちゃく」の初代ヒロインとしてテレビに初登場)シンガーソングライターではないので、『硝子のレプリカント』に彼女のもつ言語世界が反映されているという訳ではないのです。それでも、ふわふわとした独特のささやくような唄い方はフレンチ・ポップスを過剰に意識した曲調とみごとに合致し、彼女にしか表現できない「物憂げ」で「人工的」なバブリィさとして結実しています。

 (1986年のポカリスエットCF、出演はソフィ・ドゥエス)

 『硝子のレプリカント』の歌詞をたどると、徹頭徹尾、人工的・バブル的隠喩によって満たされていることがわかります。ちょっと列挙してみましょう…シンメタリック・プリンセス、硝子のレプリカント、真昼のテンプティション、忘れかけてた渚のDeja-vu、スパター模様、イリュージョン…キリがありません。要するに、用いられている表現すべてが「ああ、バブル!」なのです。当時「ナウでヤング」だった要素、「イケてる」とされていた事象が、日本語なのかフランス語なのか判別できない早瀬の「物憂げな」歌唱によって結晶した曲、それが『硝子のレプリカント』だと僕は思います。そういえば1982年公開の映画『ブレードランナー』のレプリカントも、人間そっくりな「人工的」存在でした。
 

(『ブレードランナー』のレプリカントの一人、プリス)

 今回は序ということですこし長く書きましたが、今後の「昭和歌謡の小径と憧憬」は楽曲紹介とかんたんな感想を書くにとどめようと考えています。文化論のような評論が目的ではありませんし、なにより音楽をたのしんでいただくことを優先したいと思うからです。

2013年12月10日火曜日

もぐらとひつじとやぎの季節 -其の壱、もぐら篇-

風邪癒えぬ身の盛装を凝らしたり 誓子


(上衣はARNYSのショートジャケット&ロングベスト、シャツはAlessandra Mandelliの誂え、ポケットスクエアはARNYS、アスコットはARNYSのヴィンテージ・シルク)

 皆さま、すっかりご無沙汰しております。前回更新してからはや一年以上が経ってしまいました。一度更新が滞ってしまうと加速度的におっくうさが増すようで、元来ぐうたらな性格の僕はそれにまんまとはまり込んだというわけです。こんな僕に、もっと読みたいからしっかり書いてくれ、と叱咤激励してくださったすべての方に感謝申し上げます。

 さて昨今めっきり冷え込んできましたが、こんなときこそ身も心もあたたかくなるような素材で仕立てられたものを纏いたいですね。「もぐらとひつじとやぎの季節」という三回ものの連載の題名は、それぞれの動物にまつわる織物をイメージしてつけました。第一弾である今回の題材は、「もぐら」すなわちモールスキン(のような生地)で仕立てられたARNYS製ショートジャケット&ロングベストです。C商会がARNYSを扱っていたころのものですから、今から20年ほど前の服ということになりましょうか。右身頃が前になっているので女性用かも知れませんが、サイズ・素材表記もないため、どのような経緯でつくられたのかさえ判然としません。誂えたように僕の身体にフィットしてくれるので、そうした瑣末事はさておき、いま一番気に入っている上衣…


   モールスキンと一口にいっても様々な質感や触感をもったものがあるといいます。もぐらの毛皮のような触り心地だから、とか、炭坑夫たちの着ていた服の素材だったから、とか語源についても諸説あるそうです。僕は素材について無知なのでこれがモールスキンなのかどうか確証がもてないのですが、ベルベットやベロアではなかろう、ということで(題名ありきということで)ご紹介することにしました。

 それにしてもモールスキンにはどこか野暮ったく垢抜けない部分、裏を返せば素朴な野趣の魅力があるようです。綿織物であること、出自が野良着という耐久性・保温性を求められる衣服用素材でありながら、ふっくらとした柔らかさ、身体の動きへのしなやかな追随性を兼ね備えていること、が身に纏ったときにどっしりとした安心を感じさせてくれます。こいつなら、雨や雪が降ってきても、冷たい風がふいてきても、僕の身体をまもってくれる…そんな気にさせてくれるのです。服というより相棒と呼びたくなる。


   このARNYSのショートジャケット&ロングベスト、裏地には当たり前のようにシルク(この黄金…いや稲穂色も豊かな色です)を全面にあしらい、橄欖緑色とも海松色とも呼べそうなモールスキンの表地との美事な対比をなしています。裁断やデザインもさることながら、僕がいつもARNYSの品に惹かれるのは、この素材と色の「妙なる不調和」のためです。他のメゾンではまずやらない(出来ない)ような組み合わせを平然とやってのけ、しかもそれが品格と伝統の重みを兼ね備えた斬新な品として結実しているのをみるにつけ、「粋」とか「艶」といったことばだけでは収まりきらない、「婆娑羅」とでもいうしかない先進性を感じるのです。
  

 そもそも、ジャケットを短く、ベストを長くして、それらを普通とは逆の順序で重ねて着る、という発想は誰が思いついたのでしょう。しかも共に襟なし…常軌を逸した服です。この服をご覧になって、「変わったところに切り返しのあるジャケットですね」とおっしゃる方に、僕は「よくご覧になってください、不思議な服ですよ…」と笑いながらこたえます。すると、暫く注視されたのち「ああ!」と驚きの声をあげられる、そんな方が殆どなのです。

 そうしたやりとりが新たな縁をうむこともあるのですから、この不思議な服には全く感謝せねばなりません。しかしよく考えてみると、18世紀後半くらいまではベスト(英語ではダブレット、フランス語ではプールポワンと呼ぶそうです)に袖があった記録がのこっていますから、その過渡期のふたつの「ダブレット」を重ねてショートジャケットとロングベスト(に見えるよう)に仕立てた、とも考えられる。とすれば、この服は洋服の歴史と伝統を踏まえつつ、現代的に再構築された「ネオ・ダブレット」とも解釈できそうです。

(1770年の袖ありベスト)

(1790年の袖なしベスト)

 憶測や妄想も交えつつ長々と書いてきましたが、要するに僕はこの服にぞっこんだということです。襟なしということもあり合わせるものを撰びそうですが、タートルネックのニットにストール、ボウタイにシャツ、もちろん普通にタイドアップしてもしっくりくる、実に懐の深い「もぐら」くんといえましょう。

 最後に冒頭の写真の全体像を…靴はAubercyのギリーふうプレーントゥですが、このデニム、なんと10年以上前に買ったイタリア製ジャン・ポール・ゴルチエなのです。全く相関関係のなさそうなメゾンのものを組み合わせて着たい、わがままな僕に寄り添ってくれるこの服には(パートナー同様)墓場までご一緒願うほかなさそうです。

 次回は「ひつじ」篇、ウール生地で出来た真冬に活躍する頼もしい「ヴェネツィア貴族」をご紹介したいと思います。それでは…